宮地★再発見

突然だが、

私の実家は福井県勝山市荒土町北宮地にある。





「《北宮地》という地名があるからには、

 南の方向には《南宮地》が、

 東には《東宮地》があり、西には《西宮地》があって

 さらには中央に《中宮地》とかあるにちがいない

 …そう。それこそが“宮地ファミリー”。







と小学生当時の私は考えていた。



日本の地名には、ひとつの地名をあちらこちらで使いまわすケースがある。

たとえば“上”と“下”

《上浄法寺》地区があれば、その近隣には《下浄法寺》地区が存在し、

《上森川》地区の周辺には《下森川》地区も存在するのだ。







そして
“東西南北”。

私の出身校は《北部中学》だった。

勝山市にはそのほかに《南部中学》《中部中学》の二校が存在する。







 だがしかし、“東”と“西”とが足りない!!!





このことに気づいた当時から

私の中で“南・東・西・中宮地を探したい”熱は冷めていたことに 今改めて気づく。

その瞬間、私は大人への階段をひとつ上ったということであろうか。

(中学生になるまで気づかなかった点に可愛いらしさを感じていただきたいと思う)



―そして今、







ネットで検索という、ごっつイージーな方法で

子供の頃の私の直観力がどれだけ優れていたのか検証します。





私の実家のある、

荒土町北宮地は以下のような場所である。

(以下、全ての地図を 情報地図コミュニケーションサイト・マピオンにて検索)






・・何もない。

実際、私の実家の裏は山で、表は田畑である。



まるで『春が来た』の歌詞そのものである。

 ♪春が来た 春が来た どこに来た

  山に来た 里に来た 野にも来た

  春の訪れは先ず「山に来」て、更に「里に来」て、最後に「野にも来た」のである。

  高野辰之の詞の世界は素晴らしい。

  しかし順番が逆ではないだろうか?

  実際は標高が低い地点の方が春が早いはずである。

    ・・・脱線したようだ。元に戻ろう。





さて、

それでは まず北の対蹠の方位;南に存在するはずの《南宮地》から検索してみよう。



『《みなみみやじ》、なんて《北宮地》よりも一音多いから読みづらいぜ!』などと

妙な対抗心を燃やしながら、検索。

・・・

・・・・・

・・・・・・・

・・・ありました!



しかも同じ福井県内に!!



福井県福井市南宮地町は・・・コチラ!

ど〜ん!!









・・・・

・・・・・・何もねえ!!・・・

等高線だけ!!

山だけだ!!



ちなみに、南宮地町が位置する 福井市とは福井県の県庁所在地である。

(最近町村合併にて大幅に面積が増大した。)

福井県随一の都市であるはずの福井市の地図


・・・それが上の地図。



まあ待て、ピンポイントで見るから等高線でしか描かれていないだけで、

もしかして広域を確認すれば‘街の中の小さな林’ぐらいのモンかも知れない。

・・・という期待の下、さらに広域で検索した結果が以下。



1/75000分↓







・・・・・・・・・

…てゆーか、意外に勝山市に近い模様。

それじゃぁ 山しかないのも頷けるわ。



地図上の北宮地⇔南宮地間の距離をざっと計測してみると、大体12kくらい。



・・・割と近いな・・・

福井県民は普段から車で長距離移動をする為、距離感がオカシイ。

 なぜならば長距離移動しないと 何も無いし、何もできないから。)



更に、《北宮地》と《南宮地》の位置関係は以下の通り;





福井県民以外には(大多数の福井県民にとっても)全く意味を成さない上記地図群。

私の郷土への愛と捉えていただければ幸いです。








引き続き、《東宮地》を検索する。



古来より【日出づる国】として、

東の果ての島国としての矜持を持ち続けた日本人にとって

“東”とは 欠くことのできない 重要な方位の筈!!



その点をふまえて・・・・



―検索!!!

ぽちっとな。









・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・

…………………無い。



東宮》という地名なら、何件もHITするのだが、

東宮地》はナイ・・・











・・・・エエ〜!!!???


無いんスか!?

マジで無いんスか!?





この時点で

“東西南北”宮地ファミリー結成への道は閉ざされたも同然だが、

更に検索してみた結果・・・





・・・《西宮地》も同様に存在しない地名であるということが判明。





もちろん《西宮》ならいくらでも存在するのだが。



“地”が付いちゃうとダメ。

まったくHITしない。











こうして《“東西南北”宮地ファミリー》を結成すると言う、

子供の頃からの私の夢は

あまりにあっけなく破れ去ってしまったのであった。














ちなみに《宮地》で検索したら・・・全国18都道府県にてHIT!!



もちろん福井県内にもONLY《宮地》は存在する。






察するに、福井市に 「先ず《宮地》ありき」にて

その北方と南方にそれぞれ《北宮地》《南宮地》ができたのではないだろうか?





つまり、福井県福井市宮地町は、

福井県内の《宮地》ファミリーに於ける長兄的存在である。と言える。







・・・はずだ。



そんな福井県福井市宮地町は・・・・

コレ↓







相変わらず、目印となるべきものが何も無いのだが…





しかし近辺を高速道路が走り、お寺・公園なども存在



・・・やはり長兄だからか!?



《北》《南》に比べて多少栄えていることは否定できないと思われる







―ガンバレ!長兄!!







最後に、

“東西南北”の漢字を冠する地名として存在する上で
 最も重要であるところの

 互いの位置関係を検証してみたい。



冒頭で私は

「《宮地》を中心として、

  《北宮地》はその北方に、

  《南宮地》は南方に位置するに違いない」

との仮説を立てたが、

その真偽の程は、いかがであろうか?















コチラ↓






・・・うん。

辛うじて、“北”宮地“中”宮地“南”宮地的位置関係になっていると言えなくもない。





最後まで煮え切らない結論しか出なかった・・・







更に ちなみに・・・

山梨県にも《北宮地》が存在した。

でもヤッパリ山の中でした・・・・

コチラ↓