焚書坑儒と文化大革命の国で・・・3

2006/03/18 16:03


ハイ!
やっと、全論文を翻訳(?)完了したのでアップします。
論文も 後になればなるほど、意訳の度合いがひどくなっていくようですが
その辺 ご了承いただいて、お読みください。


雰囲気♪
・・・雰囲気よ!!



今回アップした分について、
日本の教科書問題についても少し触れています。



私的には「全く、仰るとおり」と思えるような内容だったので、
この論文が今既に中国では(公式には)否定されて、批判されているのは
非常に残念です。




ま、少しずつ前進ですね!日本も、中国も。
↑子供の感想文のような文章・・・我ながら・・・




   屈辱と被害にいかにして向き合うべきか



 こういう状況がうまれた背景には 中国という国が長期間にわたって侮辱と被害を被り続けてきたという境遇が密接に関係している。しかし この現実と向き合った時 違う意識を持つことも可能ではないか。


 西欧の侵攻は中国の歴史の流れを徹底的に変えてしまった。中国人が 生まれてこのかた持ち続けていた自国は天朝の大国であるというイメージが破壊され、多くの民衆が生死の境であがいた。人々は当然の流れからこの状況を“洋鬼子”の仕業として憎んだ。そして統治者の腐敗・愚昧・軟弱を責めた。そして どれだけ討論を尽くしても結論を統一することは容易ではない・・・この状況を引き起こした根本的な原因とは内因・外因の一体どちらの方なのであろうか?


 視点を変えて この問題を見てみるとこういう疑問も出てくる。今のこの状況は何故遅々として変革されないのか?この問いに対して「帝国主義者があまりに残忍だったからだ」と回答する人がある。しかし その回答は何の意味も持たない。長い時間を経て、複雑に反復される囲碁の攻防のように、国際関係の中でも比較的多数の人・多数の国家に長期的な利益を与えうるような“正義”の秩序が一歩一歩時間をかけて構成されていく。この秩序が完成する以前に、天から救世主が下されて 気前よく国家の利益を守ってくれるようなことはありえないのだ。問題はいつでも、現実に直面して その苦境をどのように脱出するかに帰結する。


 国内外の経験則から、発展途上国または地区(殖民地・半植民地)において未発展で受動的な形勢を変革する唯一の道は、西方列強に学び、社会生活の全面的な現代化を実現することにある。そしてその成否の鍵は国内の改革である。その社会機構の全面的な改造プロセスである。それは独自のシステムを構築している国家や外来文化を頑として受け入れない国家にとっては、非常に艱難に満ちたプロセスであると言えるだろう。中国におけるアヘン戦争から20世紀初頭までの政治は、ただ徒に改革の可否を論じ続けただけのまる60年間だった!改革の方向に至っては―革命という手段に訴えるのか、または段階的な改革解放で道を切り開くのかも含めて―更に混沌として糸口すらつかめなかった。しかしこの一点だけは疑問を抱く余地がない・・・当時あらゆる手段を講じて国際和平の環境を勝ち取り、国内の改革と再建に十分な時間を稼ぐことがどうしても必要なことであった。私の考えがそう間違ってはいないと仮定して、振り返って 義和団事件について再考してみよう。それは国内的には 社会の前進に背馳する反動事件であった。そして対外的には西洋人をむやみに虐殺し 人道に反するだけでなく、反文明的な犯罪であった。同時に愚行が極まって中国自身の利益に害を与えた暴行でもあったのである。


 長年の間、義和団事件を擁護する論調が主流を占めていた・・・義和団のおかげで中国は割譲を免れたのだと。1989年には既に歴史学者の故・李時岳先生がこの詭弁に詳細に反駁している。四億五千万両の賠償金(当時の全国の財政収入の約6年分に相当)は、ちょうど中国人の体内に一本の吸血管を差し込んだようなものであった。その上帝政ロシアに口実を与え、海蘭泡と江東の64部落の惨殺の機会を与えた。7000人余の中国人が惨殺され、江東の領土は全てその禍に飲み込まれ、大量のロシア軍が東北を占領した。華東地区の戦争による死傷者の損失は数え切れないほどの数字に達している。しかも 戦後も 中国割譲の陰謀は歩みを止めはしなかった。イギリス軍はチベットに侵攻し、ラサを占拠。ドイツも砲艦を差し向けて洞庭湖へ侵攻し、洞庭湖・〓陽湖沿岸の租借権を要求した。それを聞いたイギリスは 更に舟山群島の租借権を“補償”として要求したのである!


 八カ国連合軍の総帥に推されて就任したドイツ人;瓦徳西のこんな記録がある・・“ヨーロッパ・アメリカ・日本、どの国を見てもこの国の人命の四分の一すら統治することの出来る知力と兵力を持ち合わせた国はない。割譲の件は、実際下策だった。”この記録は義和団が割譲の陰謀を瓦解させたことを証明しているという意見もある。しかし李時氏はこの件についてこう述べている“瓦徳西 個人の意見はドイツの政策とは一致していない。ドイツ皇帝は 常に割譲を対中国政策の基点においていた。上述している ‘租借’要求がこのことを証明している。ただ帝国主義国家の矛盾が 割譲の実現を 阻害したに過ぎないのだ。”


 視点をもう少し広げてみると、更に問題点がはっきりとする。前人が既に指摘しているとおり;“甲午戦争・戊戌変法と義和団事件は分かつことの出来ない歴史の連鎖である。もっと正確に言えば:甲午戦争は大清帝国の腐敗を徹底的に暴露し、多くの知識階級が数十年の夢から醒めた。回顧自強運動は敢えて‘自由か自由ではないか’という根本的な問題には触れず、第一次の啓蒙運動を群集主導で形成し、改革も新しい進展を見せた。西方を範として徹底的な改革を推進するか、または 伝統を堅守し変革を否定するか・・は中国盛衰のキーポイントであり、この時期の歴史を読み解く為の基本的な手がかりでもある。不幸にも甲午戦争敗戦後の変革のプロセスは最高潮に達して戊戌変法を実現し、その変法の失敗で終わりを告げた。戊戌政変は西方に学び、変革を求める機運の挫折であり後退であった。そして政変後の義和団事件とはただ伝統に固執し、変革に反対する反動逆流勢力の絶頂期に過ぎなかった。言葉を換えれば、義和団事件とは対外的には中国を付属国という奴隷使役の道にそって零落させ続けたものであり、対内的には顔を上げて目に入る一面を敗国亡家の風景に変えただけのものであった。”





   革命の俗化の文化意識から解脱する。


 2000〜2001年の間 中国人の注目を集めた国際事件がある。日本の教科書問題である。一部右翼勢力が編纂した歴史教科書が歴史の真相を隠蔽し日本政府が犯した侵略の罪を否認するものであるとして、海外在住の官民を含む中韓両国の政府と民間人からの激烈な抗議を巻き起こした。これは正義を広める為の闘争であり、この20年間で4度目に当たる。1982、1986、1996年にも新教科書における歴史歪曲事件が起き、再三にわたって日本国内外で公憤を巻き起こした。これは日本の思想文化の中の頑固な病気の一つであり、多くの人々にきわめて深刻な印象を与える可能性がある・・・日本人には懺悔の意思が欠けている・・という印象である。そして人々は更に一歩踏み込んで、こう問いかける;何故このように「是が非でも罪を認めない」という状態になるのか?これは大和民族特有の精神的欠陥ではないのか?と。


 上述の中国教科書問題も考え合わせると、合理的に推測すれば我々の近代史観にも似たような問題がある。もちろん日本は侵略者であり、中国は被侵略国であった。その点は明らかに別である。しかし両者には共通点もある:社会の主流となる知識が 自己の近代史に対する深刻な反省に欠けているのである。


 20世紀初頭以降、中国の有識者にも 再三にわたって中国人の“国民性”を改造しなくてはならないとの意見を提出するものがいた。これら先駆者の苦心は並大抵ではなかっただろう。しかし彼らも更に一歩進んだ追及はしなかった・・つまり、国民性を決定付ける主要な因子とは何か?である。国民性とは一国の公民の思惟及び行動方式の特徴を指すものといえるのではないだろうか。あらゆる民族は全て人食いの未開人から進展変化したものである。あるコロニーが形成される場合、文明の程度の高さ・野蛮さの程度を左右する 決定的な要素は伝統文化と制度制約の自浄能力の強弱である。


 侮辱と損害の屈辱は 中国人に新しい定説を与えた。この際立った表現は 長い時間をかけて正しいようで正しくない観念を生んだ:“洋鬼子”は侵略者なので、(被侵略者である)中国人がやったことは全て正しかった。全ての行いはたたえられるべきものであった。これは愛国主義の必然である。


 現在の歴史教科書はつまりこの思想に基づいて指導を行っているわけである。自己の祖国を熱愛することは理の当然である。ところが、どのように国を愛するかには二つの選択がある。一つは盲目的で煽動的な民族意識に任せた愛国である。中国伝統文化にある“華に厳しい異民族を見分ける”“同族でないものは、必ず心も異なる”などの観念は既に骨の髄にまでしみこんでいる。今日に至るまで その毒は未だ完全には消しきれていない。新版の教科書では中国〜外国間の摩擦においては、中国が必ず正しい。アンチ列強、アンチ西洋人が つまり愛国である。史料の選択と採用においては、真偽に関わらず中国に有利なものを用いる・・という具合である。もう一つの選択肢は 理性的な態度で全てを分析し、正しいものは正しい間違っているものは間違っていると判断する愛国である。冷静かつ客観的・総体的視点を以って 全ての国際摩擦を取扱い、処理する 愛国である。


 現代化の基本精神は 理性化である。もし我々がこの観点から 中国人を導いて進む道を選ぶならば、理性と寛容を内在化させそれを中国人の国民性とし、それを以って 各国人民及び各種文化との調和の取れた共存を図らなければならない。グローバル化に向かって猛烈に発展している現代では企業間・国家間の利益の衝突は避けることの出来ないものである。理性的にそれを認識し、摩擦を解消することが最高の選択であることは誰にとっても同じである。もし 全ての外交を“反帝国主義”“反覇権主義”で片付けてしまうならば、その仕事をしくじることは間違いないであろう。


 法は人類文明の結晶であり、社会を運行する上での規則である。国際条約は法律の働きを有するものである。これらの規則や条約を列強主導の下で作成された 弱国・貧困国民に不利なものだと批判することは、もちろん必要である。それを批判し誤謬を暴き、あらゆる方面から力を尽くして、新しい規則を作成し 新条約を調印するべく不断の努力を行うべきである。しかしそれら条約・規則を修正する以前には、我々はそれを遵守せざるを得ない。さも無くば不要の混乱を招き、結局は弱国や多くの民衆に不利な結果を招くことになる。


 19〜20世紀の中国人は 多くの“天も法も眼中に無い”悪行を犯してきた。義和団事件がその典型である。重視するべきなのは 今日に至ってもその野蛮な行為を“革命”と言いくるめている人間が居ることである。しかも 20世紀90年代に入って尚、現行国際条約を遵守するべきとの主張を売国奴の投降主張であるとして 厳しく批判してはばからない人間がいるのだ!


 極言すれば、このような主張は 革命を俗化する弊害を及ぼす。


 社会を冷静に観察しなければならない。制度の変革を引き起こした行為だけが、本当に革命であると称されるべきである。太平天国義和団は両者ともがこの条件に満たない。このような歴史の歪曲は、実際 革命を俗化させ、遅かれ早かれ 我々はその代償を支払わなくてはならなくなる。


 間違った教育の結果を軽視してはいけない。“革命”の大義の元に歴史の真相を歪曲し、“文化大革命”で残らず暴露された義和団直伝の悪影響を称揚することは 常識と理性に反することである。紅衛兵のイギリス外交館への放火は義和団運動のコピーであった。“四旧を破る”“反帝国主義”“反修正主義”― 清の外来物に対する狂気じみた排斥運動は、そこに内在する論理をはっきりと体現している。それは義和団の“滅洋”とまるで一つの轍から出たもののように似通っている。


 上述した教科書の編著が呈している論理も、全く変わりがない。これらの論理の共通点は以下の通りである。1.現在の中華文化が至高無上のものである/2.外来文化は邪悪であり、現有文化の純潔を蝕むものである/3.政権や暴動による専制などの力によって思想文化内の邪悪を一掃することは当然である、または善である。・・・我々の子供たちが知らず知らずの内に このような論理に感化されている。その一人よがりな意図がどこにあるのかは知らないが、どちらにしても 寛恕することの出来ない傷害である。


 理性的で法治の観念を持つ現代的な公民を育成し 現代化事業に貢献するために、今が この誤謬を修正する時である。