種の唄

2005/05/22 18:34

中国に行った方ならば、
誰でも中国人がおやつに“種”を食べているところを見たことがあると思います。


 ・・・常識です。


種は 最もポピュラーなおやつです。


 教室でも。
 家でテレビを見ているときでも。
 職場でも。
 道端でも


 ・・・そして映画館でも。


彼らは"種"を食し続けます。



今現在はどうなのか 分かりませんが


当時、私が生活していた中国西安市では
 映画館で映画を見るときの"お伴"と言えば、
 勿論、種。


ポップコーンなどには、誰も見向きもしません。


オールナイトで5本の映画を上映している映画館に入った時も
 周囲の中国人は 皆、種の大袋を手にし、
 靴を脱いで、
 クサイ足を前の席の背もたれに乗せ、


パキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキ・・・・・・・・・


・・・と、種の皮を噛み割る音で場内大合唱。


夜が明けて 帰る頃には
 通路は全て、種の皮で溢れ(誇張ナシで)
 "シャリ。シャリ。パキ。"と言う足音や
 "ジャリジャリ""パチパチ"という踏み心地も、目新しく。


サンダル履きだった私は、
 それらを素足で踏みたくない一心で、
 踊るような足取りで出口に向かったことを
 覚えています。




中国の人は
 栗鼠の様にひとつひとつ種の皮を剥いて食べる
 ・・・などと言う、
 著しくまどろっこしい 非合理的なことはしません。


それはもう。
 大陸的に!
 男らしく!
 非常に合理的で、
 スピーディな食し方をなさいます。


私たち素人は
 ひまわりの種を与えられた時
 手で皮を割って 中身を出して口に運びます。


これが中国の女性であれば、
 歯でひとつずつ噛み割って
 そのまま上手に中身だけを口内に落とし、皮は捨てます。


しかし
本物の本地人というものは、

  1. まず、任意の一掴みを おもむろに 皮ごと口内へ放り込み(この時 一掴みの量の多さに比例して、達人度は高いと判断できる。)
  2. 一噛み。二噛み。三噛み。
  3. 4〜5回ほど 噛み締めた後
  4. おもむろにわきを向いて、一吹き。


・・・すると、アラ不思議。
皮のみが彼の口から吐き出されます。


 ―皮だけが。


この時 半分程しか皮が剥けていなければ、剥いた分だけ先に吐き出して 残りを再び咀嚼
残った種も全て剥いて皮を吐き出す
  ・・・と言う 非常に繊細で高度な技をも
    彼らは持ち合わせていますww



しかし、
彼らの唾液にまみれ、
彼らの口から吐き出されたばかりの種
  ・・・素足では踏みたくないもんですな。



食し方については上記の通りです。


私が見た限りでは、
南瓜・スイカなどの種が
人気ランキング上位に食い込んでいるようです。
 (ものすごく食べにくくて私は苦手なんですが)


次点がヒマワリの種あたりでしょうか・・・?
ヒマワリの種はご存知の方も多いと思いますが、
比較的食べやすい・庶民の味です。



種の種類によって
 高級品と わりと庶民的な種の分別があるらしく


そういう意味で、南瓜・西瓜等の所謂“瓜”類は
 どうも高級品として人気が高いようです。



味についても様々な味付けのものがあり、
 各人によって 好みが分かれるところです。


 ―甘いもの、塩辛いもの、素材そのままの味


皆さん 結構 自分の好みの味にこだわりがあるようです。



さて、
見ているだけでは、
この"種"という素材の素晴らしさは理解しがたいものがあります。


皮を剥くのが 面倒くさくて
ごみも出るし
(日本人が見ると)何となく貧乏くさいし
その上食べられる絶対量が少ない。


しかし、その辺りの先入観を押して 食べてみると
・・・意外にハマるんです。
  ―理論的には
   アーモンドとかピスタチオとかと同じものです。
   当然かもしれませんが。




実は、私も大陸で 種をかじり続けました。


努力の結果、
"中国女性のレベル"まで技術は向上しました。
"本物の達人"の域まではとても達しませんでしたが。


ぼーーっ・・・とテレビを見ながら齧る、ヒマワリの種。


意外に美味。


なんと言うか、思考を麻痺させる働きがあるようです。




日本に帰って、働き始めてから
私は意外なところで 再び"種"に遭遇しました。
台湾からの技術研修生が、巨大なビン一杯の"種"をお土産として持って来てくれたんです。


結果、
現場食堂では、技術者のおじさんたちの間で 空前絶後の"種"フィーバーが巻き起こりました。
 日本でも巻き起こる"パリパリ"大合唱・・・


しかし、私はそのフィーバーには乗り遅れました。
と言うか、身体が種を欲しなかった。


 ―何故か?

おそらくあの "種"と言うものは
"暇"と言う空隙の中にぴたりと填まり込んだ品物なのではないでしょうか?


やる事が無い訳ではないんだけれど
一瞬できた この"暇"を埋める為に。


目は映像を見ているんだけど、
何となく熱中しきれない脳内の"暇"を埋める為に。


"種"は
そういう場合に非常に有効な娯楽(?)だったのだと思います。



今後 どんどん発展していく中国で
 企業戦士が大多数を占める時代が来たときに
 あの"種"フィーバーは終わりを告げてしまうのか・・・?
 あの"技術"は継承者を無くしてしまうのか??



そうなるかと思うと、少々寂しい気もします。